かわむら拓央のBLOG(ダメ人間の生態観察日記)です
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大先輩で子供の頃から憧れていた野沢那智さんがお亡くなりになりました。
僕も何度かご一緒し、芝居は勿論、良い作品を作る為に必要な心構えを勉強させていただきました。
慎んでご冥福をお祈りします。
そして。
今回、野沢さんの事を報道した各メディアが使った「俳優で声優の」という言葉に、僕は違和感を禁じえなかったので、今日はその事を。
僕はこの仕事を始めてからずっと、自分を「声優」と思った事が一度も無いんです。と言うのは、専門学校の時、芝居は勿論生きる事を教わった、現在大船のお墓に眠る恩師から「この世に声優という仕事は無い。声優は俳優という職業の一ジャンルに過ぎない。」って事と、「俳優になりたいと思わなければ声優にはなれない。」って教わったからで、実際仕事を始めてからは「なるほど、先生の言葉通りだ!」って思う事が多々あって、人から職業を聞かれた時は「主に声の仕事をしています」とか「役者です」って答える事にしているんだけど…
う~~ん。世間一般の認識で言う所の「俳優」と「声優」の違いは、「顔を出すか出さないか」の差でしかないので、「演技をしてお金を頂く」って事に関しては何ら違いは無いし、わざわざ分ける必要は全く無いと、僕はずーーっと思っていて。極論を言うと「肌の色が違ったら人間じゃないのか?」ってのと同じ事だとさえ思っていて、正直「声優」と呼ばれると、「声だけの人」って見られたようで「…う~~ん…」ってなってしまうんです…
…これは僕だけが思っているのかもしれないけど、仕事に求められる技術はより難しい事(別に顔出しの仕事が楽と言っているのでは決して無い)なのにもかかわらず、「声優」とついた瞬間にちょっと色のついたメガネで見られてしまうのは、残念というか…悲しいというか…それがいかんともし難い現状のもどかしさというか…
…僕の中では地位向上(?)のため「スチュワーデス」を「キャビンアテンダント」または「客室乗務員」って呼ぶようになったのと同じで、「声優」というという呼び方やカテゴリーがなくなってくれた方がいいんだけどなぁ…
そうすれば色のついたメガネも無くなって、同業者のみなさんがもっともっと楽しく仕事が出来るようになるはずなんだけどな~…
(尤も、声優と呼ばれる事に誇りをお持ちの方もいらっしゃるので、そういった方を否定しているわけでは毛頭ありません!)
僕も何度かご一緒し、芝居は勿論、良い作品を作る為に必要な心構えを勉強させていただきました。
慎んでご冥福をお祈りします。
そして。
今回、野沢さんの事を報道した各メディアが使った「俳優で声優の」という言葉に、僕は違和感を禁じえなかったので、今日はその事を。
僕はこの仕事を始めてからずっと、自分を「声優」と思った事が一度も無いんです。と言うのは、専門学校の時、芝居は勿論生きる事を教わった、現在大船のお墓に眠る恩師から「この世に声優という仕事は無い。声優は俳優という職業の一ジャンルに過ぎない。」って事と、「俳優になりたいと思わなければ声優にはなれない。」って教わったからで、実際仕事を始めてからは「なるほど、先生の言葉通りだ!」って思う事が多々あって、人から職業を聞かれた時は「主に声の仕事をしています」とか「役者です」って答える事にしているんだけど…
う~~ん。世間一般の認識で言う所の「俳優」と「声優」の違いは、「顔を出すか出さないか」の差でしかないので、「演技をしてお金を頂く」って事に関しては何ら違いは無いし、わざわざ分ける必要は全く無いと、僕はずーーっと思っていて。極論を言うと「肌の色が違ったら人間じゃないのか?」ってのと同じ事だとさえ思っていて、正直「声優」と呼ばれると、「声だけの人」って見られたようで「…う~~ん…」ってなってしまうんです…
…これは僕だけが思っているのかもしれないけど、仕事に求められる技術はより難しい事(別に顔出しの仕事が楽と言っているのでは決して無い)なのにもかかわらず、「声優」とついた瞬間にちょっと色のついたメガネで見られてしまうのは、残念というか…悲しいというか…それがいかんともし難い現状のもどかしさというか…
…僕の中では地位向上(?)のため「スチュワーデス」を「キャビンアテンダント」または「客室乗務員」って呼ぶようになったのと同じで、「声優」というという呼び方やカテゴリーがなくなってくれた方がいいんだけどなぁ…
そうすれば色のついたメガネも無くなって、同業者のみなさんがもっともっと楽しく仕事が出来るようになるはずなんだけどな~…
(尤も、声優と呼ばれる事に誇りをお持ちの方もいらっしゃるので、そういった方を否定しているわけでは毛頭ありません!)
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